チャップリンの独裁者 THE GREAT DICTATOR / 1940 / USA

STORY
チャップリンがアドルフ・ヒトラーの独裁政治を批判した作品で、ヒトラーとナチズムに対して非常に大胆に非難と風刺をしつつ、ヨーロッパにおけるユダヤ人の苦況をコミカルながらも生々しく描いている。1940年10月15日にアメリカ合衆国で初公開された。当時のアメリカはナチの戦争とはいまだ無縁であり、平和を享受していたが、この映画はそんなアメリカの世相からかけ離れた内容だった。
またこの作品は、チャップリン映画初の完全トーキー作品[1]として有名であり、さらにチャップリンの作品の中で最も商業的に成功した作品として映画史に記録されている。
アカデミー賞では作品賞、主演男優賞、助演男優賞(ジャック・オーキー)脚本賞、作曲賞(メレディス・ウィルソン)にノミネートされ、ニューヨーク映画批評家協会賞では主演男優賞を受賞した。また、1997年にアメリカ国立フィルム登録簿に登録された。
初公開当時ナチス・ドイツと友好関係にあった日本では公開されず、日本初公開はサンフランシスコ講和条約締結から8年後の1960年であった。しかし、日本でもヒットし興業収入は1億6800万円を記録、この年の興業収入第4位となった。
またこの作品は、チャップリン映画初の完全トーキー作品[1]として有名であり、さらにチャップリンの作品の中で最も商業的に成功した作品として映画史に記録されている。
アカデミー賞では作品賞、主演男優賞、助演男優賞(ジャック・オーキー)脚本賞、作曲賞(メレディス・ウィルソン)にノミネートされ、ニューヨーク映画批評家協会賞では主演男優賞を受賞した。また、1997年にアメリカ国立フィルム登録簿に登録された。
初公開当時ナチス・ドイツと友好関係にあった日本では公開されず、日本初公開はサンフランシスコ講和条約締結から8年後の1960年であった。しかし、日本でもヒットし興業収入は1億6800万円を記録、この年の興業収入第4位となった。
Dictator Adenoid Hynkel tries to expand his empire while a poor Jewish barber tries to avoid persecution from Hynkel's regime.
- 監督
- Charles Chaplin
- 出演
- Charles Chaplin, Jack Oakie, Reginald Gardiner, Henry Daniell
REVIEW from 「文芸ジャンキーパラダイス」
チャップリンがヒトラーとユダヤ人の床屋という、抑圧者と抑圧を受ける側の一人二役をこなす反戦コメディの金字塔。チャップリンはヒトラーと同年同月生まれ(わずか4日違い)。双方が黒髪、小柄で、トレードマークがチョビ髭とは信じられない偶然だ。from : 史上最強の超名作洋画ベスト1000
この映画の強烈な反戦平和メッセージは、ナチスだけでなく米国の軍部や軍事産業にも警戒され、様々な妨害と圧力が撮影中のチャップリンに加えられた(後年、この映画がもとで彼は赤狩りにあい米国を追放される)。
作品の撮影が始まったのは、ドイツがポーランドに侵攻し2次大戦が勃発した1939年9月。終戦は1945年だ。つまり、戦争が終わってからヒトラーを告発する映画を作ったのではなく、世界がまだアウシュビッツの地獄を知らず、米社会もパールハーバー前で欧州の政情に無関心だった中、彼はいち早くファシズムの危険性に警鐘を鳴らしまくっていたのだ。
参戦前の米国には人種差別主義者やナチの信奉者が少なくなかったので、
「何度も脅迫を受けている。このまま撮影を続けると殺されるかもしれない」
とチャップリンは周囲に語っていた。
作品中のヒロインの名を、自分の母親と同じ“ハンナ”としたのは、“何としても作品を完成させる!”という決意表明に思える。
この作品に驚嘆するのは、コメディという表現手段をとりつつも、平和を求める切実な思いがビリビリ伝わってくることだ。反戦映画によくある、罪なき民衆の亡骸を延々と映す演出は、戦争の愚かさの表現手段としては分かりやすく簡単だ。だが、娯楽好きな米国人は暗く深刻な映画では劇場に足を運んでくれない。コメディなら政治に無関心な層にも受け入れられると確信していたチャップリンは、「これを撮るのは私の天命だ」と、圧力に負けず執念で完成にこぎつけた!(笑いの中で反戦を伝えるのは、どれほど難しいことだろう!)
印象的なシーンは山ほどある。ヒトラー(役名はヒンケル)が風船の地球儀と戯れる場面や、ハンガリー舞曲にあわせて床屋業を営むコミカルなシーン、フライパンが頭を直撃し千鳥足で踊るダンス、ムッソリーニ(ナパロニ)との滑稽な意地の張り合い、等々。
鳥肌が立ったのは、ユダヤ人街焼き討ちシーンの直後にヒトラーが一人でピアノを弾いているカット。冷酷な命令を下した人間が、何事もなかったかのように美しいピアノ曲を弾いているこの狂気に、僕は心から戦慄を覚えた。
そしてあの“世紀の6分間”と呼ばれるラストの大演説!頑固なまでに無声映画にこだわっていた彼が、このクライマックスの撮影の為についにトーキーに踏み切ったのだ。彼いわく「ついに語るときが来た」決定的シーンだ。ぜひ、その目、その耳で確かめて欲しい。彼が「ビバ!デモクラシー!(民主主義万歳!)」と叫ぶ命がけのメッセージを!
※この映画で米国を追放されたチャップリンは、1972年にアカデミー名誉賞に輝き約20年ぶりに訪米。授賞式で彼に贈られたスタンディングオベーションはオスカー史上最長の約5分間にわたった。
※本作品はチャップリンの他作品と同様、監督、脚本、製作、主演、全てが彼の手によるもの。
※「アウシュビッツを撮れなかった『映画』(という芸術)は、チャップリンが『独裁者』を撮ることで辛うじて生き延びた」(ゴダール)
※ヒトラーは首相官邸でこの映画を笑い転げながら3度見た後、上映禁止処分にしたという。
※近年、撮影に使用されたヒンケルの衣装がオークションで競り落とされた。その人物の名はBONO。言わずと知れたU2のヴォーカルである。
※NY批評家協会賞(1940)男優賞
*本レビューは、「文芸ジャンキーパラダイス」管理人様の許可を得て転載しております。